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回万年橋~胥門~百花洲~侍其巷~金獅河沿~牌楼弄~金獅巷
 
遠く向こうに大きな橋が見えます。橋のたもとに行ってみようっと。
橋の手前に立派な建物があります。はて、何でしょう。「蘇州市規劃展示館」だそう です。
中に入ってみると、大蘇州の各都市の歴史や観光名所の 紹介があります。
それに、この目の前に広がるミニチュアの未来の蘇州 。
そういえば、上海にも同じような展示館があったっけ。
「未来はこうなるのだ」と夢を視覚化するのは、大事なことかも。夢は、それが形に なったとき、目標になるから。
 
 
  「蘇州市規劃展示館」を出て、右手にはさっき遠くから見えていた「万年橋」がでーんと河をまたい でいます。さて、橋を上ってみよう。橋を下から見上げると、橋のてっぺんには晩秋の青空が晴れ渡っているのでありま した。
橋を渡ると、胥門がみえて来ました 。胥門の近くに呉の時代の宰相、伍子胥の家があったそうです。また、伍子胥が呉王夫差に自刎を命じられ、果てた後、 その首が胥門にかけられたことから、この名前がついたそうです。でもこの胥門は、呉の時代のものではなくて、清初期 に再建されたものだそうです。  
  胥門 をくぐって、さらに小さな運河の橋を渡ると、そこは百花洲です。今は結構小奇麗な道になっていますが、実はこのあた りは、清時代の末~民国初期には、糞やゴミ捨て場になっていて、さらには江蘇省北部の天災を逃れてきた難民が住み着 いて、スラム状態だったそうです。
 
 
晴れてぽかぽかの日。陽だまりで居眠りする人、布団があっちにもこっちにも、人間様に負けず に日向ぼっこをしています。こんな日は洗濯物もよく乾くでしょう。木の上にも元気に洗濯物がはためいています。
侍其巷にやってきました。侍其巷は、北宋時代に侍其沔という人が住ん でいて、この名前がついたのです。彼は儒教を勉強して、正義を貫く正義の味方としてみなの敬愛を受けていたそうです 。

足壷の大きな看板 。どうやら足のマッサージ屋さんのようです。女性がたくさんのポットにお湯をいれています。お客さんに出すのでしょ う。お客さんは、足をマッサージしてもらいながら、お茶をすするのでしょう。
 
 
おや、たくさんの物を積んだ手押し車発見。ひまわりの風車が、なんとも 愛らしいです。車の上にはありとあらゆる日用品がぎゅうぎゅう詰まっています。糸、ゴム、はさみ、排水口のゴミ取り 。袖口がよごれないように腕にまくもの。お役所だとか、銀行の窓口のおばさんなんかがよく着けてます。なんだかダサ いなあと思っていたけれど、実用的だよねえ。かわいい柄の布で作ったのもあるし、どうしよう、買っちゃおうかなあ。  
 
 
しばらく いくと、「鄭邦述旧居」がありました。
案内板の説明によ りますと、なになに・・・鄭邦述という人は、清代に広州と湖南の総督を勤めた鄭延楨の曾孫で、蔵書家であった。金目を惜 しまず古書を買いまくったので、借金で首が回らなくなってしまった。そして、残りの人生は家にこもり、ひたすら原稿 を書きつづり、借金を返したとさ・・・。あまり大きな家でもないように思うけれど、家の中はきっと古書が山積みだったん だろうなあ。
道ばたでは、いろんな人が日の光を浴びて、
くつろいでいます。毛糸を巻いているおばあさん。
 
仲良しの子供たち。
 
おやおや、こちらは靴の修理屋さん。
手際よく靴を叩いたり磨いたりしています。
金獅河沿に来ました。こちらは野外レス トラン。
油がはじける音、威勢良く中華なべのそこを叩く音が聞こえて きます。うまそうなにおいも漂ってきました。
こちらは穀物屋さん。いろんな色の豆が店の軒先を陣取っています。
道端にオウムがいました 。「ニーハオ!」と声をかけてみたけれど、返事がない・・・。
このオウム、話すのはあんまり得意じゃないらしいです。それとも人見知りかな。
ビリヤード屋さんをみつけました。やってる、やってる。結構、真剣にやっている。よっ、ハスラー !カッコイイ!
 
ひょっこり、古めかしい洋館が現れました。壁にはなにやら張り紙が・・・。
ふむふむ・・「蘇州市滄浪区選挙委員会公告『中華人民共和国全国人民代表大会及び地方各級人民代表大会選挙法 』・・・・に基づき、滄浪区人民代表選挙を行います。つきましては滄浪区に戸籍をもつ18歳以上の者は戸籍証明又は身分証 明書を持参し、選挙民登録を行って下さい。」
 

そうか、中国にも選挙ってあったんですね。どこか の国みたいに白い手袋はめて街頭演説したり、うぐいす嬢が「○○でございます。よろしくお願い致しま~す。」なんて 車で連呼したりすることはないけど・・・。

さて、牌楼弄という路地に きました。井戸を発見。おばさんが水を汲んで、壁の向こうへ入っていきました。おばさん、あの水を何に使うんだろう 。お料理かな?

 
温かな午後。ゆったりと路地の間に時間が流れてゆきます。入り口から奥へ続く長い土間。あの奥に はどんな暮らしがあるのだろう。
軒先には腰掛が2つ。だれかが座って くれるのを待っています。
 
 
そこへワンちゃんがうろうろやってきて、ちょこんと人間様の椅子を占拠。「ぽかぽかしていい気持 ちだワン!」
カメラをのぞき込んでいて、う っかり人にぶつかってしまいました。相手は男の子。むこうも歩きながら漫画に夢中で気付かなかったらしいです。何の 漫画を読んでいるんだろうとのぞいてみると、「ドラゴンボール」でした。「ごめんなさい。」と一言。また一心に読み 始め、信号が青になると、漫画を読んだまま、横断歩道を渡りはじめました。くれぐれも車には気をつけてね!
道前街の銀杏が半分色づ いてきています。夕暮れが近づいてきました。たくさんの自転車がそれぞれの我が家を目指して流れて行くのでした。
(2007年11月)
【後 記】伍子胥の首のかけられた門の謎
伍子胥は、呉(~紀元前473年)の国の宰相でし た。その頃呉と越(現在の浙江省あたり。紀元前600年頃~紀元前334年)は争っていました。呉は当時後進国であった越 を見下していましたが、それが後に呉の敗退を招くことになります。伍子胥は越を過小視しないようあれこれ呉王の夫差 に諫言するのですが、煙たがられ、ついには自刎を命じられてしまいます。自刎の際、伍子胥は家来に向かって言い放っ たそうです。
「わしの目をくり抜いて呉の東の門に掲げよ。越の兵隊が攻め込んで呉 を滅ぼすのをこの目で見てやろう!」
東の門といえば、葑門か相門か婁門ということ になります。司馬遼太郎氏の「街道をゆく 中国江南のみち」の中では、「葑門」という説と「盤門」という説が紹介さ れています。また蘇州の古い写真を集めた「老蘇州」という写真集の解説では「胥門」に首がかけられたと書かれていま す。果たしてどの門だったのでしょうか。それは歴史のなぞですが、「十八史略」によると、伍子胥が自刎する前に言い 放った言葉を後で聞いて激怒し、伍子胥の遺体を馬の皮に包んで長江に沈めるよう命令したそうです。

【お詫び】秋から年初にかけて、公私共に多忙で、原稿を書く時間がなかな か取れませんでした。すっかり時期はずれになってしまいました。あしからずご了承ください。

 Ⓒ蘇州歴史 文化研究愛好家 児玉富久実   

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